不立文字

料理は食べてみないとわからない。味は決して言葉で表現できないのです。味野里香の味は召し上がっていただいたお客様だけに伝わりご満足いただけるものと、日々精進いたしております。
空前の美食ブームと言われて久しいですが、凡その料理人が美食を語り、自らの味を語ります。
私は思います。美食を言葉にするなら心理学を学べばいいと。「美味しい」と感じてもらえる言葉を、そのことばかりを考えればいいと。それはもはや経営術であり料理の範疇ではないと。
私は専ら料理に心血を注ぎたい。それは言葉を持って語ることはできないのです。

食は天職

食は人の天なり。よく味わひを調(ととの)へ知れる人大きな徳とすべし。
吉田兼好「徒然草」第百二十二段

これは、「食料は人にとって何より大切である。よく味わい調理することを知っている人は、たいへん徳があり、大いに有用である」というくらいの意味でしょうか。料理はそれほど古来から大切にされてきたことなのです。
私は料理を天職ととらえ、長き道のりを歩いてまいりました。しかし未だに兼好法師のいう境地に至ることはできていません。これはまさに食の、料理の本質なのです。一歩でもその境地に迫りたい。そう願うばかりです。

素材の味

今後何が変わろうと、どれくらい時代が早く変わろうと絶対に必要なものは本当に美味しい食べ物で、食べ物を見ていると何が変わりつつあるか、どれくらい早く時代が変化しているかわかる。進歩というのはとても大事でワクワクすることだけど、食べ物は別だね。オレンジがほしいとき「え、オレンジの何?」なんて言われたくないよね。
Andy Warhol「The Philosophy of Andy Warhol」

素材の味を生かしてとはよく言われることです。しかし私は思います。素材の味を生かすも何も、いい素材を選べば自ずと調理の方法は決まるのではないでしょうか。味などというものは曖昧なもので、うまいかまずいかになると極めて「主観」に頼らざるを得ない。店の評論、味の評価で最も欠落しているのは「私にとっては」という主観の表明で、ほとんどがあたかもそれが客観的事実であるかのように書かれています。
たしかなものはその素材の味。私はそれだけを頼りに調理をしています。素材に生かされているのは私の方なのです。

一期一会

「揚げるそばから食べる……」のでなかったら、てんぷら屋なんかに行かないほうがいい。そうでないと職人が困っちゃうんだよね。
池波正太郎「男の作法」

一期一会は私の覚悟です。お運びいただいた出会いに感謝し、その機会は二度と繰り返されることのない、一生に一度の出会いであるということを心得て日々大切に過ごしております。自信を持って選んだ素材の味を縁(よすが)に、誠意を尽くした料理を、この時しかないというタイミングでお客様に供する。それこそが私の作法。そうしていただいた笑顔が、どのようなお褒めの言葉よりありがたくうれしく感じられます。私の思いがお客様に通じた瞬間、一期一会はお客様ご自身のものにもなります。まさに料理人としての私の本懐でございます。

和食の原点

料理をするほどの者が、自信をもって飯が炊けないということは、無茶苦茶な振舞いであり、親切ものとはいえないことになる。(中略)飯は料理ではないという考えを改め、立派な料理だと考えなければばらない。わたしは断言する。飯の炊けない料理人は一流の料理人ではない。
北大路魯山人「お米の話」著作集第二巻

言うまでもなく、私たちにとってお米は主食。ご飯は食の原点、和食の原点なのです。どんなに素晴らしい料理を用意したところで、ご飯が美味しくなければすべてが虚しくなってしまいます。魯山人先生の言を待つまでもなく、ご飯の炊き方も立派な料理なのです。一流かどうかは別として、料理人を名乗るのであればまずご飯をちゃんと炊くこと。和食はすべてここからはじまるものと心得ます。
私の料理も最後にほんの少しご飯を召し上がっていただきます。その日の料理の〆にふさわしい形で。

記憶に残る

奇食に見えて、しかし奇食など世界には一つとしてない。行く先々にもの食う人々がいて、いまそれを食うことの十二分な理由と、食うことと食えないことに関わる知られざるドラマを持っていた。
見えない食いものも食った。記憶である。
記憶をその主からすそ分けしてもらい、食ってみた。
辺見庸「もの食う人々」

私の料理がお客様の中でどのような記憶として結実するのか。私は絶えずそのことばかりを気にかけ料理の道を歩んでまいりました。しかし、決して和食一筋などというまっすぐな道を歩んできたわけではありません。今振り返りますと蛇行し後戻りし立ち止まり複雑な足跡を自身の人生に刻んでまいりました。料理を供するばかりではありません。さまざまな料理、味、人に出会い、その経験、思い、記憶を積み重ねてまいりました。それらすべてが今の私と私の料理の糧となっています。そして今も新たな出会いを求めているのです。

とある日のおもてなし

味野里香は京都市中京区、押小路通りを新町から東に入った小体な店です。
亭主金子みのると女将のり子が皆様のお越しをお待ちいたしております。